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期待しないブログ

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意識低い系

意識高い系

これはここ数年のとくに若年層にみられる意識高いアピールをする人たちを小バカにする用語です。意識高いこと自体は別に悪くないのですが、意識高い「系」となると、意識高い感を周囲にアピールしたいだけのハリボテ具合が協調されます。

意識低い系

ネットではおもに意識高い系ばかりが表立って取り上げられますが、一方でその対極となる意識低い系の存在はあまり注目されていません。厳密には意識低い「系」ではなく、「意識低い」という層です。

意識とは

そもそも意識高いとか低いとかいっている「意識」ってなんでしょうか。おそらくここでいう意識とは「自意識」のことだと思います。つまり意識高い系は自意識過剰とニアリーイコールな関係にあります。

自意識過剰な状態というのは、自己の存在価値や自己愛を満たすために承認欲求を得ようとして、なかば空回りしているような感じです。これはアイデンティティーの確立の過程で生じる、比較的自然な現象ではないでしょうか。

ところが年齢を重ねるにつれてそのような状態はしだいに解消され、諦観するようになってきます。その状態で意識が高いか低いかは人それぞれですが、ある程度の安定期に入ってきます。

意識低い若年層

ところが、そのような変遷を経ずとも、ハナから諦観している一見して意識低い若年層がじつはマジョリティーであることは、あまり注目されていないように思います。もはや自らを脚色してでもよく見せようという「意識」がありません。

その人たちが運よく意識低いままに生き延びていける世の中であればいいのですが、あまり見通しはよくないように思います。ただ、これも無用なおせっかいかもしれません。意識低いほうがマジョリティーなわけですから、アメリカのように政権だってひっくり返せます。

しょせんは「意識高い」というのも、自己防衛のためのいち手段のひとつにすぎないわけで、武器が必要ないなら無理に装備する必要はありません。一生かけても到底消費しきれないコンテンツは、ひたすら無尽蔵に生産されていきます。最低限の食い扶持さえ確保できれば、暇つぶしには困りません。

結局のところ、「論理的思考力」にしてもあくまで武器にすぎないので、必修科目ではありません。ほしいひとが入手すればいいだけです。必要なのは、武器がなくても生きていける社会のインフラ整備だと思います。