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アカデミアの生産性

伊賀泰代(ちきりん)さん著の「生産性」という本を読んでいます。

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生産性とは

三省堂 大辞林の定義によると、

生産のために投入される労働・資本などの生産要素が生産に貢献する程度。生産量を生産要素の投入量で割った値で表す。

とのことです。

生産量は同じでも、それに費やした時間やコストが大きいと生産性は低くなります。

長時間労働

ここ数年、日本企業の伝統的な長時間労働体質にメスが入りつつあります。なぜなら、日本企業の「生産性」は先進国でトップクラスに低いからです。さらに、ワタミファーストリテイリングにはじまり、最近では電通の若手社員の自殺にもあるように、これまで暗黙とされていた企業のブラック体質に批判が集まっています。しかし、企業は本当に長時間労働を是正する気があるんでしょうか。あくまでブラック認定されると企業イメージが落ちるから改善しよう、というような場当たり的対策の雰囲気が強いように感じます。

アカデミアでは

アカデミアには利益や売上の代わりに、論文業績という目に見えやすい指標があるため、早くから成果主義が台頭しています。イケイケの研究者は30代前半でも教授に上り詰めます。当然、日本にとどまらず海外で華々しく活躍する人も多いです。

しかし、自分をはじめとしたイケイケではない研究者はどのように生きながらえているのでしょうか。その処世術として最も好まれるのが「ハードワーク」です。アカデミア研究職には、残業などという概念は存在しません。皆が深夜まで研究・教育・その他業務に打ち込むのが当然、という厳然とした空気があります。

その結果、日本のサイエンス業界はどうなったでしょうか。文科省からの客観的な報告があります。

NISTEP Repository: 科学研究のベンチマーキング2015 ―論文分析でみる世界の研究活動の変化と日本の状況―

これにはなんとも残酷なデータが提示されています。日本は「生産性」はおろか、「生産量」でも頭打ちになっています。これは、成果主義が本格的に導入されだした日本企業の行く末を暗示しているようでなりません。

成果主義の導入 -> 成果を上げねば -> 長時間労働サービス残業の蔓延 -> 生産性の低下 -> 生産量の低下 -> もっと働かねば

という完全な悪循環です。生産量を上げようと労動に明け暮れた結果、生産性はおろか生産量自体も下げてしまうのです。皆が苦しいという価値観を共有することくらいしか救いがありません。「生産量」ではなく「生産性」を意識しないと、ほんとうにイノベーティブな研究なんてやってられる余裕はありません。

アカデミアの疲弊感をどうするか

もはや、基礎研究はゆっくりと時間をかけてやるもの、いつ役に立つかわからないけど面白うそうだからやるもの、という免罪符は成り立ちません。そういう研究がやりたければ、成果になりそうなところを最大限効率化した上で、そのための時間を確保しなければいけません。そして、成果を最大化するのに重要なのは労働力の投下ではなく、生産性の向上であるという意識転換をしなければ、世界に追いつけるはずがありません。

一般社会と同様、研究技術もコモディティ化が進んでいます。投資さえすれば最先端の材料と技術は手に入ります。必要なことはインパクトの高い課題を立案し、いかに効率よく成果を挙げていくか、という戦略です。単純な労働力の投下では追いつくことができません。

極端なことを言えば、教員は皆定時過ぎに帰り、学生も1日中実験しているわけではない、しかしそのラボからはなぜか毎年IFの高いジャーナルに論文がでる、という状況を目指すことが求められてきます。

そんなことができたら苦労しない、と自分でも思います。しかし、世界ではそれほどの生産性で研究を行っているラボがゴロゴロあるという現実があります。決して不可能ではないはずです。