読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

期待しないブログ

science, sociality, electronic music, keiba, lifehack

マイラーズC

単勝 06 ヤングマンバワー
600円
馬連 03 フィエロ-06
200円
ワイド 03-06
400円

ヤングマンの人気落ちつられて

皐月賞

買い目

馬連・ワイド
06 アウトライアーズ-17 ウインブライト
600円・1200円

馬連
02 スワーヴリチャード-06, 17
各300円

馬連・ワイド ボックス
16 クリンチャー-02, 06, 17
各100円

スプリングS 1, 2着馬を本線に、スワーヴリチャードを抑え、クリンチャーを穴で

いいこともストレスになる

ここ最近生活環境の変化とか、仕事上でのちょっとした成果とかで一時的にテンション上がり気味だった反動がやってきました。気づけばなんか回される仕事も増えるしで、やはりベースラインは低めに設定するに限ります。

  1. 一時的に仕事量が増える
  2. その瞬間はテンションが上がっているのでしんどくない
  3. あれこれやろうと自分から仕事を増やす
  4. なんか上からも仕事がふってくる
  5. だんだんテンションが下がってきて逆にプレッシャーになる
  6. 一時的に上がった仕事量を簡単に減らせない
  7. 仕事めんどくさい
  8. 生活もめんどくさい
  9. なにもかもめんどくさい

これってよく考えれば、ありがちなパターンな気がします。要因はいろいろあるにせよ、なにか早急な対応が必要とされていないかぎり、一時的に発揮するパフォーマンスを引き上げてしまうことは、代償がつきまといます。

大阪杯

買い目

馬連・ワイド
04 ステファノス - 12 アンビシャス
500, 2500円

安直すぎる気がしないでもないが、買わざるをえない

意識低い系

意識高い系

これはここ数年のとくに若年層にみられる意識高いアピールをする人たちを小バカにする用語です。意識高いこと自体は別に悪くないのですが、意識高い「系」となると、意識高い感を周囲にアピールしたいだけのハリボテ具合が協調されます。

意識低い系

ネットではおもに意識高い系ばかりが表立って取り上げられますが、一方でその対極となる意識低い系の存在はあまり注目されていません。厳密には意識低い「系」ではなく、「意識低い」という層です。

意識とは

そもそも意識高いとか低いとかいっている「意識」ってなんでしょうか。おそらくここでいう意識とは「自意識」のことだと思います。つまり意識高い系は自意識過剰とニアリーイコールな関係にあります。

自意識過剰な状態というのは、自己の存在価値や自己愛を満たすために承認欲求を得ようとして、なかば空回りしているような感じです。これはアイデンティティーの確立の過程で生じる、比較的自然な現象ではないでしょうか。

ところが年齢を重ねるにつれてそのような状態はしだいに解消され、諦観するようになってきます。その状態で意識が高いか低いかは人それぞれですが、ある程度の安定期に入ってきます。

意識低い若年層

ところが、そのような変遷を経ずとも、ハナから諦観している一見して意識低い若年層がじつはマジョリティーであることは、あまり注目されていないように思います。もはや自らを脚色してでもよく見せようという「意識」がありません。

その人たちが運よく意識低いままに生き延びていける世の中であればいいのですが、あまり見通しはよくないように思います。ただ、これも無用なおせっかいかもしれません。意識低いほうがマジョリティーなわけですから、アメリカのように政権だってひっくり返せます。

しょせんは「意識高い」というのも、自己防衛のためのいち手段のひとつにすぎないわけで、武器が必要ないなら無理に装備する必要はありません。一生かけても到底消費しきれないコンテンツは、ひたすら無尽蔵に生産されていきます。最低限の食い扶持さえ確保できれば、暇つぶしには困りません。

結局のところ、「論理的思考力」にしてもあくまで武器にすぎないので、必修科目ではありません。ほしいひとが入手すればいいだけです。必要なのは、武器がなくても生きていける社会のインフラ整備だと思います。

2017 牡馬クラシック

本命不在

スプリングSで2歳王者サトノアレスが敗れたことによって、さらに混沌としてきました。混沌感の原因は、大物感をかもしだす馬が見当たらないことにあります。

近年でいうと、京成杯弥生賞を連勝したマイネルチャールズが1番人気となった2007年、朝日杯を敗れたものの弥生賞を勝って巻き返したサダムパテックが1番人気となった2011年のような空気です。

しかしながら、2007年はディープスカイNHKマイルとダービーの変則2冠を、2011年は皐月賞で4番人気だったオルフェーヴルが見事にクラシック3冠をとったように、遅れてきた大物がいる可能性は十分にあります。今年はソウルスターリングファンディーナウオッカするパターンかもしれませんが。

有力馬

  1. レイデオロ
    3戦無敗、祖母がディープインパクトの半姉のレディブロンドという良血馬で、本命はこの馬でしょうか。サンデーの血が入っておらずぜひキンカメの後継種牡馬となってほしいところですが、ここ5年間の1-3着馬はすべてサンデーの血が入っています。しかし、さかのぼっていくと7年前に3着したのちのダービー馬エイシンフラッシュは父キングマンボ系ですし、母父は昨年のディーマジェスティをはじめとして皐月賞とは相性がいいロベルト系です。不安点としては、G2昇格したホープフルS組がさっぱりなこと、さらにホープフルSからのぶっつけで、藤沢調教師が皐月賞にどれだけ照準を合わせているのか不透明なところです。
  2. カデナ
    ディープ×フレンチというニックスに加え、ラジオN杯から弥生賞を連勝ということでとくに文句のつけようがないように思うのですが、残念なまでにレース内容がパッとしません。弥生賞は1番人気で勝ったにもかかわらず、レース後には史上最低の弥生賞、とも言われました。また百日草特別では有力牝馬のアドマイヤミヤビに敗れています。ここからもう一段のギアを見せられるかどうか、といったところでしょうか。

  3. スワーヴリチャード
    おそらく人気的にはレイデオロとカデナに拮抗するところまでいくのではないでしょうか。大物感としては上の2頭よりも高く評価する人も多いかもしれません。血統的にもハーツにアメリカ血統の組み合わせは、これまでのハーツ産有力馬にあてはまります。若葉Sを勝ったアダムバローズも同配合です。

  4. ペルシアンナイト
    マイル路線からの参戦ながら、これまで5戦とも断然の人気を集めてきて、前走の勝ちっぷりも鮮やかでした。ハービンジャーゴールドアリュールの全妹という血統をどう考えるかですが、父ハービンジャーベルーフプロフェット京成杯を制しているように、中山2000は実績があります。あとはニキーヤの系列で芝の重賞勝ちはこの馬がはじめて、というところですが、この馬にはハービンラインの継承を期待してしまいます。

  5. ウインブライト
    マイネル系統であまり人気はしなさそうですが、父ステゴというとやはり期待してしまいます。母父アドマイヤコジーンというところでも人気を落としそうですが、母父バクシンオーが長距離王道を制覇する時代ですので、あまり気にしないでもいいかもしれません。人気の程度によっては本命にしたい1頭です。

  6. クリンチャー
    台風の目となりそうなのはコイツでしょうか。父ディープスカイは見事なコケっぷりながらダート種牡馬として巻き返してきました。この馬は低評価ながら未勝利、OPと連勝で皐月賞出走が見えてきました。母父BTということでも期待できます。クラシックのどこかで馬券にからんでほしいです。

「考える力」の必要性

news.yahoo.co.jp

教育とは

新明解国語辞典によると

一般的な知識や技能の習得、社会人としての人間形成などを目的として行われる訓練。

とあります。

ゆとり教育」は、前者から後者への移行でしたが、これからは両者の配分を、教員自ら「考える」ことが求められてきています。

考える力

人間は考える葦である、ともいわれます。しかし、人間にとって「考える」という行為は自然なものではありません。ほとんどの人が感情で動いています。「考える」というものが人間に元来そなわっているなら、そのための教育も必要ありません。しかし、一定レベル以上の知能をもった人間は、みな「考える」人間になるポテンシャルをもっています。決して有能な人間だけがもちうる能力ではありません。逆説的なことに、もともと優秀な人ほど、とくに考えなくてもなんとかなってしまうので、意外と「考える力」は高くありません。

考える必要がある人

じつは「考える力」とは、自力では劣るがなんとか自力で勝る強者に負けずに生き延びたい、という人たちが手にしうる武器とも考えられます。ところが、人間は依然として感情優位な生きものです。「考える力」はときとして、それまで平穏に暮らしていた人々を、競争社会へ送り出す起爆剤ともなります。はたして、義務教育レベルで「考える力」を習得し、強者に立ち向かわなければならないんでしょうか。別に「考える力」をつけなくても、ごくふつうに生きていける世界を構築するほうが、トータルとして幸福度は増すのではないでしょうか。

格差社会

今の世の中では、いわゆる「勝ち組」「負け組」のようなレッテル感が強くあります。しかし、皆が考える力をつけて勝ち組を目指すことが、はたして望ましいのでしょうか。考える力をつけた管理者階級と考える力をつけていない労働者階級がいて、両者が平和に生きていく世界というのは実現不可能なんでしょうか。考える力をつけて管理者階級になれる、もしくは管理者階級から労働者階級へ変わったからといって社会的に差別を受けるわけではない、という道すじだけちゃんと残しておけば十分じゃないでしょうか。